想い出・・・こんな私の足跡

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一人での一歩

荒波の向こう側 

記憶の糸を手繰る。
細い細い糸の束は
複雑に絡み合って解けない。


一つ一つを丁寧にほぐし
一本の糸の先に辿り着くのは
自分でも忘れてしまっている過去。


どこに辿り着くのか全くわからない・・・・・・。




「記憶」と言う引き出しがあるのなら
全てを取り出して
自分の手で全部整理してしまいたい。












おかんが亡くなって
私が知った事は
世間の荒波という物だと、当時思った。


自分達が
いかに守られ
いかに弱く
いかに我侭だったのかを毎日思い知った。



体中で楯になっていてくれた事
おかんが全身全霊で私たちを守っていた事を
失って
初めて知った。











おかんが死んでから
親戚と何度も話し合いが持たれた。

私たちをどうするか・・・・・。
いや、私をどうするのか、だった。


兄はその時まだ17歳の
高校3年になったばかりだった。


普通なら、進路が間近の兄を心配するのではないだろうか・・・。

だが親戚は兄に関してさじを投げた。



「男の子だし、何とかやっていけるでしょう」と。







何故そんな考えが浮かんだのか。
それは
父が残していた遺産だった。

正確には父が事故にあった為
私たちの先行きを案じてくれた見たこともない
叔父が相手から賠償金として取った物だったらしい。


おかんは
生活保護を受けながらの貧しい生活の中
そのお金に一切手をつけずに生活してきていた。

そのお金を二人で分ける。
一人
1000万円ずつだった。


「それでやっていきなさい。」
兄はそう言われてしまったのだ。

それだけあれば
生活に困ることは無い。
だが、今、思い返しても
17の子供が
いきなりそんな大金を手にして
本当にしっかり歩いていけると
親類は思ったのだろうか・・・・・・・・。



いきなり自由になってしまった兄を
私は可哀想だと思った。
おかんがいなくなって辛い時に

もう誰も助けてくれないんだからね。

そう
大人たちが言っている様に見えてしまった。










私はと言えば
施設に入れる、と言う事で
親戚の意見は一致していた。



学校を辞めて働くつもりだった私は
猛烈に反発した。
兄を見捨てる様な事をした親戚を
恨んでいたから
とにかく言う事は絶対に聞かない、と意固地に誓っていた。


学校を辞めて
一人で暮らし、生活をしていく事を決めた私に
救いの手を伸べてくれたのは


全く会った事すらない
あの、千香の家族だった。










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